特攻殉国の碑(長崎県東彼杵郡川棚町新谷郷)
道の駅「彼杵の荘(そのぎのしょう)」から
国道205号線を佐世保方面に北上中
偶然みかけた看板に惹かれて訪問。
特攻といえば開聞岳登山の際に訪れた知覧特攻平和会館があるが
こちらは航空機を使った特別攻撃隊ではなく
小型船舶、魚雷艇他など海(海上、海中)からの
体当たり攻撃の訓練基地があった場所になる。
もともとは横須賀にあった学校の分校だったそうだが
戦局の悪化とあわせこの川棚魚雷艇訓練所は特攻の訓練所と変化。
人間魚雷「回天」などの特攻隊員の練成も行ったという。
昭和42年(1967年)に旧隊員らが全国に呼び掛け、
訓練所があったゆかりの地に、隊員を顕彰する鎮魂の碑として
設置されたものである。
ちなみにこの地は当ブログの本題である決して私のお気に入りの場所ではない。
しかし、今この国が戦争に若者を送る国に変貌(復活)を遂げようとしている最中
そのようなことが決して起こらぬよう、まさに備忘録として書きとどめる次第である。
有志一同、元隊員一同による碑文には
「今日焼土から蘇生した日本の復興と平和の姿を見るとき、
これひとえに卿等殉国の英霊の加護によるものと我らは景仰する。」とある。
今日、その蘇生した姿から、為政者と国民が再び逆戻りの道を歩まぬことをと
御霊のご加護に祈りつつ、その逆戻りの流れを止めることができるのは
亡くなられた戦争の犠牲者ではなく、今生きている我々であることも
御霊に教えられる地であった。
我々はこれ以上、悲劇とその犠牲者の顕彰碑を
増やしてはならないのである。
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