予科練平和記念館
ひとりじっくり歴史と現在に対峙し考察を深める場所として
訪れてみました。
そもそも戦争の大義名分にはよく「自国民を守るため」とか
「自国の権益を守るため」とかほぼ全てといっていいほど
「自国民」や「自国」のためには「仕方なく」「やむを得ず」
戦争に踏み切るのだといった理屈が並べられます。
戦地が自国外であっても、
さらには「自国」の連盟国が攻撃にさらされた場合であっても
集団的自衛権などといった「自国民」や「自国」に及ぶ影響を拡大解釈して、
戦争にお墨付きを与えることが可能な時代になってしまいました。
人間は誤った歴史を繰り返すものではあります。
ならばこそ、その誤りを誤りとして気付くことを可能にしてくれる
歴史遺産と対峙する必要があります。
予科練平和記念館のパンフレットにも
“命の尊さや平和の大切さを考えていただくために
「予科練平和記念館」を建設しました“とあるほか、
隣の陸上自衛隊武器学校の敷地内にある「雄翔館」のパンフレットにも
“悲壮な豫科練の足跡が世界平和の資となるために、、”とあります。
誰しもが唱える「命の尊さや平和の大切さ」「世界平和」
しかし現実はまったく逆の動きに向け加速さえしています。
「誤り」はどこでどう始まりどう動いていくのか。
一人一人が耳障りのいい政治家のアジテーションに惑わされることなく
歴史遺産と対峙しながら見極めていかなければなりません。
霞ヶ浦に「でかい きぼぅーの くもーがわーくー」と
唄われながらも、沢山の大きな希望の芽を摘んでいった国の過ち
過ちも過ちとは気付きにくい一歩から始まる
その同じ歴史の転換点を迎えていることに
向き合わなければなりません。
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