一体の絵馬を巡る考察・1
長年の夢でした相馬野馬追にようやく行けることができました。
もちろん雲雀ヶ原祭場地における甲冑競馬や神旗争奪戦、
騎馬武者が街中を行進するお行列などの神事も見所ですが
今回一番の収穫は各郷ごとに編成されたさ騎馬隊が
さらに編成され出陣地となる3つの神社を参拝できたことです。
相馬孫五郎重胤公城址の相馬太田神社(南相馬市)
中村城跡の相馬中村神社(相馬市)
小高城城址の相馬小高神社(南相馬市)
このそれぞれの神社がなかなかなのです。
当然馬にまつわるものがたくさん見られますが
相馬小高神社の絵馬殿で面白い絵馬一体に出合いました。
「加賀金澤」もさることながら圧倒的に馬の絵馬が奉納されている中で
一体だけ機織りです。今回の旅の仲間面々がさっそく調査を開始。
まずは「大正乙丑」ですが
「乙丑(きのとうし、いっちゅう)」と読むようで
大正乙丑は大正14年(1925年)です。
そして金澤の「朝見素全」「朝見素一郎」については
金沢市観光協会から出ています「卯辰山 碑マップ」に
句碑の建立者として「朝見素全」の名前がありました。
「明治30年3月 朝見素全建立」とあります。
句碑は浅見大素 (あさみたいそ) の句碑で
浅見大素(1838-1894)は本名、朝見次六で
足袋商・俳人、金沢生まれ。明治の初め藩札引換所に勤め、後ね足袋商を営む。
とありますから朝見素全の父親かも知れません?
「朝見素一郎」については
金沢商工人名録(昭和3年)に
金沢市高岡町37の羽二重仲立とありました。
ということは朝見素一郎と朝見素全は当時の金沢の産業を鑑みても
絹織物と関係の深い生業を営んでいたことがうかがえます。
(朝見素一郎は朝見素全の子どもかな?)
その親子が大正14年初春に相馬地方を訪れ
この絵馬を奉納したことが伺えます。
(つづきます)
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