一体の絵馬を巡る考察・2
では馬の絵馬に混じって機織りの絵馬がある理由はなんでしょうか?
それぞれが知恵を絞り調べます。
私は馬から一歩退いて調べてみました。
織物関係を営む朝見親子?が当地、相馬を訪れた理由の考察です。
まず相馬小高神社の祭神や末社に注目してみました。
いただいてきた由緒書きにはありませんでしたが
小高観光協会のHPによる神社の紹介
ここには棚機神社も祀られているとあります。
棚機神社はまさしく機織りの祭神
絵馬に描かれているのも棚機女(たなばたつめ)
または「乙棚機(おとたなばた)」かもしれませんね。
そして相馬の小高の当時の産業
小高の絹織物業で調べていると
「死の棘」で知られる島尾敏雄が小高にゆかりの深い人物で出てきました。
島尾敏雄は輸出絹織物商を営む家に横浜で生まれたとあり
その両親がこの南相馬の小高の出身
そして絹織物の貿易商社を営んでいたというように
(島尾敏雄は南相馬小高でも療養生活を送ったことがあるそうです)
小高は絹織物としても栄えた地域だったようですね。
「南相馬市の概要と文化財の現況」
の8、戦後のあゆみ
の中に
「高度経済成長を迎え、隆盛を極めた絹織物業や養蚕業が衰退していくなど、産業の転換が図られ」
とあるように昔は絹織物業が盛んな地域だったことがここでも伺えます。
朝見親子?は仕事絡みでこの地をやその周辺を訪れたという見立てです。
(まだまだつづきます)
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