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2021.01.16

沖家室島(おきかむろじま)

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「宮本常一が見た日本」(佐野眞一、ちくま文庫、2010年)によれば
「昭和58年(1983年)、宮本の尽力によって本島と橋が架かったこの島」とある。

その島にその橋を渡り家出カーで尋ねてみました。
Okikamurojima02

沖家室の島人は伝統の「かむろ船」「かむろばり」を使う
一本釣り漁を得意とし、好漁場を求め近海はおろか、
朝鮮半島や台湾、ハワイへと漁業移民したといういいます。
ちょうど参拝した蛭子神社には、狛犬や石段・参道の石に
「高雄」「基隆」「ホノルル」などからの寄進が記されていました。
すごーい。
Ebisujinjya

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本浦(ほむら)から望む蛭子神社

蛭子神社は【宮本常一さんぽ】沖家室島蛭子神社を散策 でも紹介されていました。

Komainuebisu

高雄沖家室同郷会とありますね。


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洲崎からの沖家室大橋とかむろ船

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高札場

【宮本常一さんぽ】沖家室島蛭子神社を散策(後編)でも紹介されていますね。

この沖家室島からは、明治政府によるハワイ移民推進政策
「官約移民」に多くが応じたといいます
当時の外務大臣が山口県出身だったことも関係しているようです。
かつては家室千軒と賑わい
海を舞台に沖家室島の人たちは世界に活躍の場を求めてきたわけです。
2006年、沖家室の漁村集落は水産庁の
「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれています。

 

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