なぜここに山中鹿介
今回も思いがけない出会いや発見があった旅でしたが
鞆の浦の山中鹿介(しかのすけ、山中幸盛)の首塚もしかりでした。
歴史愛好家よりもゲーマーに人気絶大ともいわれる
尼子三傑の一人で尼子十勇士の筆頭ですが
幾度となく毛利勢にあがない、ついに天正六(1578)年に
囚われの身となり護送中に殺害されてしまいます。
毛利輝元による首実検は備中松山城で行われましたが
信長と敵対し毛利とつながる室町幕府最後の将軍足利義昭が下向していた
備後国の鞆(足利家にとり由緒もある吉兆の地)においても
明智光秀と共に信長の配下で尼子一族の再興を図っていた山中鹿介の
首実検が行われたといいます。
官妓(かんぎ)、いまでいえば「喜び組」でしょうか?
(解説看板の英語はただのホステスになっていますが)
「蜜語(ささやき)の橋」、、、、。政権官僚のコネクティングルーム利用が
世間を騒がせたことがありましたが、
その扉は後世「蜜語の扉」と呼ばれているかもしれませんね。
尼子再興軍最後の砦として一時山中鹿介が拠点としていた若桜鬼ヶ城
2019年9月に師匠のお供で登城してきました。
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