年越しそばは出石そば
当ブログでも紹介しました出石皿そばですが
左京さんで購入しておいたそばを今回の年越しそばと致しました。
揚げは白峰のあげを使用。
なかなか日付をまたぐ時間帯まで起きていられないので
本当は毎年「年越したそば」なんですが、、、。
当ブログでも紹介しました出石皿そばですが
左京さんで購入しておいたそばを今回の年越しそばと致しました。
揚げは白峰のあげを使用。
なかなか日付をまたぐ時間帯まで起きていられないので
本当は毎年「年越したそば」なんですが、、、。
城廻りの師匠の露払いとして初めてお供を司ったのが2011年
まだ入城料や駐車場料などもなかった竹田城が最初でした。
宿を所望した師匠に対し不躾にも山岳部出身同士で寝袋車中泊を
押し通してしまったことが恥ずかしい限りです。
この竹田城址訪問の時から気にかかっていたのが
但馬の小京都・城下町「出石」(いずし、兵庫県豊岡市出石町)。
その後ここの出石城・有子山城が続百名城に選定され
今回師匠とともに参上しました。
ともに昼飯はと選んだの出石名物の皿そば
皿うどんは好物の一つですが、果たして皿そばなるものはと
足の不自由な師匠にも障害が少ない駐車場そばで選んだのが「左京」。
1人前が5皿で梅雨、山芋、玉子でと
お店のおすすめ通りの順番で頂きました。
美味しさに追加も入れてしまいました。
ちなみになぜここに蕎麦がとの疑問の答えは
江戸中期のに出石藩主松平氏と信州上田藩の仙石氏(仙石政明)が
お国替えとなった際に、蕎麦好きの仙石 政明(せんごく まさあきら)が
そば職人連れてきたことが、今では関西屈指のそば処の始まりとか。
厳選された国内産小麦粉使用した
例幣使街道、太田宿の赤城食品(太田市台之郷)の乾麺うどんです。
京都から中山道を、倉賀野(現高崎市)、太田、佐野、富田、
栃木、合戦場、金崎をと下り、日光西街道と合流する
楡木(にれぎ、鹿沼市)を経て日光に至る街道が
例幣使街道(日光例幣使街道)。
天皇の代理として、朝廷から神への毎年のささげものの例幣を納めに
派遣される勅使の例幣使は、中山道とこの例幣使街道を経て
日光に向かい、東照宮にささげものを納め、
江戸にまわって将軍に対面したのち京都へ帰ることになっていたそうです。
現在の太田市はSUBARUのお膝元、企業城下町の工業都市ですが
小麦の産地の一つであもります。
群馬県は、気候条件を活かし水田の裏作として小麦栽培が盛んで
生産量は全国第4位と全国有数の産地です(2016年)。
うどんの名店も多いそうですね。
ショッピングモール内などでラーメン店を展開している
「Sugakiya(スガキヤ)」がこの9月末で石川県から撤退した。
福井県と石川県で展開する全9店舗が閉店したわけだが
懐かしい味だけにコロナ禍とはいえさみしいものだ。
閉店となるとかえって間際にかけ
来店客が増えるのはどこも同じようなもので
(同じく9月末で多くの店舗が閉店となる
老舗の洋食チェーン「キッチンジロー」も秋葉原は大賑わいだった)
その影響なのかふるさとではスガキヤのインスタントラーメンも
よく売れているという。
義母にこっちに来る祭に一つ買ってきてくれと頼んだが
おひとり様一点との制限付きだっという。
昭和45年の発売の「本店の味・醤油味」ですが
白菜と南部いたふをトッピングしていただきました。
たまにインスタントラーメンもうまいものです。
関東には見かけませんからね。寿がきやさん。
鶴岡へ向かう旅の道すがら立ち寄った大梵字
美味しかったので勘定とあわせ乾麺を購入。
店舗と同じ十割そばは半生で売られており乾麺は5割そば。
製造は西川町睦合の玉谷製麺所さん
販売は月山あさひ振興公社さん
玉谷製麺所さんの工場直売店「つぉろの舗」にも
立ち寄ってみたいものです。
9月25日、金沢に愛するゆで太郎がオープンした。
これまでの富山から一歩北陸の店舗網が拡大してくれたことを歓迎したい。
さっそく先輩が駆けつけてくれたそうで
先輩からは石川県に進出するそばチェーン情報が合わせてもたされた。
その中に長野を基盤とする小木曽製粉所も7月に金沢に進出という情報があり
小木曽製粉所VSゆで太郎の戦いに行方を注視したいという。
さっそくその小木曽製粉所なる蕎麦屋を検索してみると
一番近いところではイオンモール北戸田店ということで
義母を誘って試食に駆け付けてみた。
注文したのは並みも中も大盛りも同じ税込みワンコインのざる。
自慢の自社製粉の「二八そば」。
次回はごまくるみダレそばか山賊丼、
いやいやソースカツ丼も食指が動く。
長野ではないものの長年お世話になっている小諸そば(本社は東京)も
関東圏を飛び出す日がくるのであろうか?
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